トルコのことはあまり知らなかった。それで、図書館でいくつか本を借りて目下勉強中だ。
こんな書籍だ。
写真左から「史跡・都市を巡るトルコの歴史」(野中恵子著、ベレ出版)、「イスラム世界はなぜ没落したか?」(バーナード・ルイス著、日本評論社)、「クルディスタンを訪ねて」(松浦範子著、新泉社)、「谷間の岩窟教会群が彩るカッパドキア」(萩野矢慶著、東方出版)の4冊である。
一度アップしたが取りやめ、この本を読んでからトルコの歴史を語ることにした。
今回はトルコの地理、文化、経済、国際関係について。
●地理
トルコの正式な国名は「トルコ共和国」。漢字表記は土耳古で、土と略される。
黒海と地中海に挟まれた西アジアのアナトリア半島(小アジア)と、東ヨーロッパのバルカン半島東端の東トラキア地方を領有し、北緯35度から43度、東経25度から45度に位置し、東西1,600km、南北800kmに及ぶ。アジアとヨーロッパの2つの大州にまたがる共和国。
アナトリア半島は中央に広大な高原と海沿いの狭小な平地からなり、高原の東部はチグリス川・ユーフラテス川の源流である。
そして、トルコの国土の96%がアジアのアナトリア半島にあり、人口でもアジア側が9割弱を占める。また、国民の98%がイスラム教スンナ派を信仰する。
北は黒海、南は地中海に面し、西でブルガリア、ギリシャと、東でグルジア、アルメニア、イラン、イラク、シリアと接する。
トルコは、国際連合による区分では西アジアに属し、イスラム教国であることや地理的な要因から中近東の一国と受け止められることが多い一方、近年では経済・政治の面からヨーロッパ諸国として扱われる場合がある。
具体的には、北大西洋条約機構(NATO)加盟国であるほか、現在欧州連合(EU)への加盟を申請している。またスポーツ団体では欧州サッカー連盟(UEFA)、欧州オリンピック委員会(EOC)などのヨーロッパ側の団体に所属している。なおトルコ政府は独立後ほぼ一貫して欧化、西洋化を目指している。
アナトリア中央部の首都アンカラ(530万人)はアジア側に位置し、最大の都市であるイスタンブール(1,470万人)はアジアとヨーロッパにまたがる海峡都市である。
●イスタンブール
2020年のオリンピック誘致で最後まで争ったイスタンブール。
2013年9月7日に行われた決選投票では60票を獲得した東京が36票のイスタンブールを制し、ジャック・ロゲ会長によって開催都市が東京と発表されたことは記憶に新しい。(写真)
イスタンブールの敗因は治安の問題と言われていたが、それが現実のものとなっている。
2016年6月28日、そのアタテュルク国際空港で犯人を含む48人が死亡、238人が負傷する銃撃、爆破テロ事件が起きた。(写真)
ところで、イスタンブール(イスタンブル)の呼称は、いくつもある。古代のビザンティオン(ビザンティウム)、トルコ共和国が建国されるまで、コンスタンティノポリス(コンスタンティノープル)と呼ばれていた。
同都市はトルコ北西部に位置し、マルマラ海と黒海を結ぶ世界でも最も混雑する航路の一つであるボスポラス海峡を挟んで東のアジア(アナトリア半島)側と西のヨーロッパ(トラキア地方)側両方に拡がり、西側の市域は金角湾で南北に分かれる。
2大陸にまたがる大都市であり、アジアの最も西にある都市でもある。商業や歴史の中心はヨーロッパ側に広がり、住民の3分の1はアジア側に居住している。
観光地としても、年間約700万人の海外からの観光客が訪れ、世界で10番目に最もポピュラーな観光地である。
(左から、グランバザール、トプカピ宮殿、アヤソフィア博物館)
●オリエント急行の殺人
イスタンブールで国際間の鉄道が開業したのは1889年ことで、ブカレストとシルケジ駅の間でシルケジ駅は遂にはパリからのオリエント急行の東のターミナル駅として有名になった。
彼女が一人旅の間にこの作品の構想を練ったのは、イスタンブール新市街で1895年から営業を続けているベラ・パラス・ホテルの411号室とされる。
豪華なキャストが話題になったシドニー・ルメット監督によるミステリー映画は、ポワロ役にアルバート・フィニー、ラチェット役にリチャード・ウィドマーク、ショーン・コネリー、イングリッド・バーグマン、アンソニー・パーキンス、マーティン・バルサムと、主役級の豪華キャストが起用されて話題となった。
物語は中東での仕事を終えたポアロが、イスタンブール発カレー行きのオリエント急行に乗り、ヨーロッパへの帰途につくところから始まる。(写真)
庄野真代/飛んでイスタンブール(1978年)
The Four Lads/イスタンブール(Istanbul)
●文化
古くはヒッタイトからギリシア、ローマ、オスマンなど様々な文明・文化が花開き、かつ東西から人が行き来する要衝の地であったため、東西の文化が混交しており、独特の文化が存在する。
●トルコ語
オスマン時代に宮廷で使われたオスマン語は、元となったテュルク語に加え歴史的にペルシア語、アラビア語、土地的にギリシャ語、ブルガリア語、また西欧化のお手本としたフランスのフランス語からの借用語を多く含んでおり、トルコ人のための国家の言語としてふさわしくないと判断された。
そのため、国内の方言や他のテュルク系言語などを参考にして言語の純化を行い、トルコ語が制定された。
現在、トルコ共和国の公用語として人口約7,200万人の話者を擁し、ブルガリアに約75万人、ギリシャに約15万人、キプロスに約25万人の話者がいる。
●国花・チューリップ
トルコ東部はチューリップの原産地でもある。10世紀頃から栽培が始まり、16世紀にはオランダへ伝来。そして世界へと広まった。現在、トルコの国花や、トルコ航空のシンボルはチューリップである。
オスマン帝国23代皇帝・アフメト3世(1736年、62歳で没、写真)は西欧の文化を取り入れることに熱心で、在位時代(1703-1730年)、チューリップをあちこちで飾り園遊会を楽しんだので、「チューリップ時代」と呼ばれている。
●政教分離
トルコ共和国憲法では、政教分離の条文は変更不可と規定されている。そのためイスラム教徒の多い国家としては戒律が厳しくない。ジーンズをはいたり、スカーフをしない女性が普通に町を歩き、街中では普通に酒も売っており、まるでヨーロッパのような印象を受けるが、21世紀に入りイスラム回帰運動が活発になると、自主的にスカーフを身につけたり、イスラムの教えを掲げる政治家や実業家が影響力を強めてきている。現在は、トルコ共和国憲法の政教分離の文言をめぐって論争が起きている。
今回の軍事クーデターの要因は、イスラム化を進める現政権と、政教分離の砦といわれる軍隊の間の軋轢の結果だった。
●トルコ料理
日本では馴染みが薄いが、トルコ料理はフランス料理、中華料理とともに世界三大料理に数えられる。中央アジア由来のトルコの伝統料理と、ギリシャやシリアなど東西の料理が混じりあい独自の発展を遂げたトルコ料理は、近隣諸国の食文化にも影響を与えている。
トルコ料理は味付けが濃い。特に羊肉で作られたケバブなどは独特なクセがあり、好き嫌いがはっきり分かれる。あまり知られていないが、オリーブの生産量はスペインに次いで世界第2位。
なお、日本で古くから親しまれてきた「シシカバブ」はインド料理であり、近年屋台などで見られるようになったトルコ料理の「シシュ・ケバブ」(写真)は由来は同じだが、調理法は異なる別の料理である。
●トルコ音楽
ツィターに似た撥弦楽器・カーヌーン(Kanun)はアラブ古典音楽で使われる代表的な楽器。台形の箱に多数の弦が張り巡らされており、それを日本の琴(厳密には箏)の様につまびいて演奏する。名前はギリシア語の「カノン」に由来する。
Bob Azzam/ムスターファ(ya Mustapha)
日本では坂本九が歌った「悲しき60才」の題名で有名な曲。
遠い昔のトルコの国の悲しい恋の物語 純情可憐な一人の男 それは主人公ムスターファ アムスタファーニャ ムスターファ アムタバーニャー ムスターファ…と歌う。
歌詞の内容は次の通り
愛する君、美しい肌の人 もう随分ご無沙汰だけどいつまた会ってくれるのか 幸せになれるのだろうか ヤ・ムスターファ 僕は君にぞっこんだ あのエル・アタリン(エジプト・カイロにある下町)ですごした7年間 いつまた君は帰ってきてくれるのか …
アーサー・キット/ウシュクダラ
ウシュクダラ (Uska Dara)」は、ユスキュダル(Uskudar)という、イスタンブールの一地区のことを指す。
ムスターファと同じころ、アメリカのポピュラー歌手、アーサー・キットがブロードウェイのミュージカルショーで歌って以来、全世界に知られるようになった。日本でも江利チエミが歌ってヒットした。
ユスキュダルへと旅していく女性と、その秘書についての物語を歌ったトルコの民謡「キャーティビム (Katibim)」に基づいた曲だ。
歌詞の内容は次の通り
ウシュクダラに行ったときは雨だった キャティップ(愛する彼)の着物の裾が長く 跳ね上がっていた キャティップは起きたばかりなのか 目はぼんやりしていた キャティップは私のもの 私はキャティップのもの 腕を組めるのは私だけ…
イスタンブール周辺はヨーロッパとアジアを繋ぐ陸上の中継地点の他、黒海から地中海へ抜ける唯一の海峡があるため、古くから交通の要所として発展してきた。ヨーロッパ(東部)側は文化的にも発展しており、労働賃金もEUに比べて安いので、近代的な工業や観光業、外資系なども強いのだが、アジア(南東部)側の大部分は現在でも農業が主力となっている。そのため、国内の地域格差が激しい。近年では、車などの重工業も発達してきている。主要な貿易相手国はドイツ。
また、人口は日本の半分程度だが、ヨーロッパではドイツに次ぐ規模で中東では随一。2017年ごろにドイツに並ぶと予想されており、新たな市場や労働力源として注目を集めている。2001年に悪化した経済が持ち直し着実に成長を続けていたが、2008年の金融危機で急減速。失業率の増大や、輸出の悪化に頭を悩ませている。その為にも、早いEU加盟が求められている。
●国際関係
第1次世界大戦において、オスマン帝国はドイツと手を組み敗戦。1923年にオスマン帝国が崩壊すると、トルコ共和国が成立。第2次世界大戦では戦闘に関わらず、他の中立国家と同様大勢が決した1945年1月に対日断交、2月に対独対日宣戦している。
EUへの加盟が現在のわかりやすい国家目標になっている。しかし、トルコが加盟するにはいくつか問題が上がっていて、それに対してEU加盟国の半分が反対している状態だ。
まず1つは、キリスト教国家だけで構成されているEU内に、イスラム教文化の国家が誕生する事への不安。
2つめは、トルコと隣接しているイラン・イラクを代表する中東の紛争地帯とダイレクトに繋がってしまい、トルコから、イラク・シリア・イランなどにまたがる、世界最大の独自国家を持たない民族であるクルド人の問題などの人道的問題や、難民問題と直接対峙しなければならないという事。
3つめはトルコや・トルコを経由してくる中東からの移民問題である。
すでにEUに加盟しているギリシャ・キプロスとは歴史的に仲が悪く、未だにキプロス島を舞台に紛争状態にある。したがって、その問題解決をする事が加入に必要な条件にもなる。そのため、トルコは歩み寄りを進めているが、キプロス島住民側の感情や、国際的に重要な地域を失うわけでもあり事態はあまり好転していない。
また、アルメニアとも150~200万人にも及ぶといわれているアルメニア人虐殺事件についての歴史認識で対立している。こちらは2009年10月に国交樹立の調印が押されたが、調印式でトラブルが起こるなど、住民感情がそれに追いつくのはまだ先のようである。
また、トルコ内部からもEUに加盟する事に対しての文化面での不安が出ているなど、交渉は長引きそうだ。
そして、隣接するイラク・シリア・イランなどとの関係もアメリカとの関係上重要になってきている。
また、ヨーロッパ各国にトルコ人の移民が合法・違法問わず増えており、低所得の仕事が独占されたり現地の子供が逆差別にあうという事件も起きている。
国民国家トルコは独立に際して汎テュルク主義ではなくアナトリアのトルコ人だけによるトルコ民族主義をとったが、ソ連崩壊後は他のテュルク系国家と関係を深め、テュルク評議会に参加している。