キューバの対日関係
1929年12月21日、国交樹立。1941年12月、太平洋戦争勃発にともないアメリカと共に対日宣戦を布告。1952年11月、サンフランシスコ講和条約締結にともない、国交回復。1960年に通商協定を締結(発効は1961年)。1898年以降、日本人移民がキューバに定住、1999年時点の概数で日系人は800人。
日本は自由主義体制をとり米国とも密接な同盟関係を維持しているが、キューバに対しては地理的・政治的な利害関係を持たず、またフィデル・カストロが親日家であり、日本人もキューバに対してはエキゾチックな好感を抱いており、音楽やスポーツを通じた民間交流も盛んである。そのため、両国関係は政治・経済の両面で良好であり、1989年の昭和天皇崩御の際には喪に服した。
また、ペルー日本大使公邸占拠事件では、日本政府の要請に対し、キューバがトゥパク・アマルー革命運動(MRTA)のゲリラの亡命受け入れを受諾した。また、日本人が入国するときにビザ免除を認めている国である。
Cuba Picutre by Masahiro terakawa
寺川昌宏のキューバ旅行の写真と音楽
日系キューバ人
日系キューバ人
Japonés Cubano
![日本の旗]()
総人口居住地域言語宗教関連する民族
Japonés Cubano


推定1,300人 |
ハバナ |
キューバ・スペイン語、日本語 |
キリスト教、大乗仏教、仏教、神道 |
歴史
日系キューバ人のグループはNikkeiと呼ばれる。1915年には、60人以下の日本人しかキューバには居住していない。彼等は農業社会をカルメリーナに建設した。1916年以降、262人の日本人が到着した。多くはサトウキビの収穫に職を得ることを決めた。しかし、日本人への風当たりはとても強く、幾人かを日本に帰らせるほどであった。
風当たりが強かったため幾人かはピノス島(現青年の島)に移り、そこで果物と野菜の農園を建設した。1926年にキューバへの移民は停滞した。しかし、1943年には1,200人の日本人がキューバに移住した。しかし、第二次世界大戦後、再び幾人かが日本に帰還した。それは、カストロ一味が起こしたキューバ革命のためだった。真珠湾攻撃の翌日の1941年12月9日、フルヘンシオ・バティスタ大統領は日本とファシスト同盟国のナチス・ドイツとイタリア王国に対して宣戦を布告した。12月12日の数日までに、すべてのキューバに住む日本人は「敵性外国人」であると宣言された。
多くの日本人が逮捕された。114人のドイツ人と、13人のイタリア人もまたそうなった。その後6,000人以上のドイツ系、イタリア系、日系住人がアメリカ合衆国に追放された。彼等のうちのあるものは到着先で新しい職を得た。料理人、使用人、その他のサービス業に就いた。戦争が終わっても収容者は解放されなかった。最後の集団は1946年3月に釈放された。戦後、二国間の友好関係が女性たちによって、新しい共同体を築くために用意された。
今日では、1,300人の日本人がキューバに居住していると推測されており、総人口の0.01%を占めている。2008年には、日本政府により旭日双光章がフランシスコ・シンイチ・マチダに、彼のキューバ移民への福祉への貢献を称えて授与された。
.経済概況
(1)ソ連・東欧圏の崩壊で、1990年代前半キューバ経済は大幅なマイナス成長を記録。経済危機を克服するため、キューバ政府は部分的に市場原理に基づく経済改革を導入。その後キューバ経済は1995年以降から回復の兆しを見せ、1990年代後半の成長率は平均4.6%。近年では、ベネズエラや中国との緊密な経済関係等を背景に高い成長率を記録したが(12.5%(2006年)、7.5%(2007年)(政府発表))、国際的な経済危機及びハリケーン被害等により成長率が急速に鈍化(4.1%(2008年)、1.4%(2009年))。
(2)主要産業は観光業、農業(砂糖、タバコ)、鉱業(ニッケル)等。最近は医療分野(眼科医の海外派遣)にも力を入れている。他方、国内では格差の拡大や腐敗等の問題が深刻化。
(3)現在ベネズエラがキューバの最大の貿易相手国。キューバはベネズエラから約10万バレル/日の原油を特恵条件で輸入する一方、ベネズエラへの医療サービス提供による収入が増加。
(4) メキシコ湾海底油田の推定石油埋蔵量は、46億バレル(米国地質調査所)。同油田鉱区には、スペイン、ノルウェー、ベネズエラ、ロシア、インド、ベトナム、マレーシア、ブラジルの石油企業が参入している。
(5)脱ドル化プロセスとして、国営企業間の取引通貨を兌換ペソへ変更(2003年7月)、キューバ国営企業の行う副次的なサービスや製品に対するドル使用の禁止(2004年3月)、国内での米ドル流通禁止(2004年11月)等を実施。
(6)ラウル・カストロ議長就任以来、プリペイド携帯電話所持、DVD等の電気製品の販売、ホテル宿泊を解禁する等の自由化の動きがみられる他、農業分野では、地方に政策決定権と責任を持たせようとする分権化の動きがある。
(7)日本との関係は、1998年3月民間債務リスケに基本合意が成立。公的債務についても、直近では2008年10月に短期債務についてリスケ合意したものの、その後、再び支払いが滞ったため、2010年8月貿易保険の引受けが停止された。
(8)1982年の外資関連法により、外国企業はキューバとの合弁事業が可能となり、1995年9月には100%の外資導入を認めた新外国投資法が成立。スペイン、カナダを筆頭に、ホテル、鉱業、石油精製等の分野への投資が進行。2002年には400近い合弁企業が稼働していたが、現在は約230社にまで減少。最近の投資企業数の減少は、キューバ側がベネズエラ及び中国のような国々の大型投資を求めるようになっていること、2003年頃から本格化したキューバ政府の中央集権的な経済政策の再強化等が要因。