A5判 全140頁
1,000円(税952円+税)
発 行 所 島嶼資料センター
印刷・販売 内外出版株式会社

 海洋政策研究財団島嶼資料センターでは、日本の島嶼に関する問題について正しく理解するための定期刊行物『島嶼研究ジャーナル』を発行しています。
 『島嶼研究ジャーナル』は、資料に基づく専門家の学術的な論文を集めた「論説」、国際会議等の国際社会の場で議論された日本の島嶼に関わる問題情報を紹介する「インサイト」、島嶼に関わる問題を理解するための読み物「コラム」の3コンテンツから構成され、島嶼に関する問題の本質を斯界の専門家によりわかりやすく解説しています。
 本書はオンライン書店でお買い求めいただけますので、ご興味のある方はぜひご覧ください。

第3巻1号

尖閣周辺海域における執行管轄権の問題や、国際条約における島の制度、琉球王国と明・清の関係について考察した論説3件のほか、地図から読み解く竹島問題などインサイト3編、コラムでは内閣府有識者懇談会の報告を掲載し、充実した内容となっています。
 

尖閣諸島 Facts & Figures

 概要

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 日本政府は、1895年1月14日に魚釣島・久場島に対し国標建設を行うことを閣議決定し、領土に編入しましたが、それ以前から政府による開拓の見込みの調査や実地測量、民間人による開拓が行われてきました。さかのぼれば、尖閣諸島の各島は航海の目標として使用され、日本・中国・ヨーロッパ発行のChart(海図)にも描かれてきました。
 尖閣諸島Facts & Figures(F&F)では、 尖閣諸島に関する精確な事実関係を明らかにするため、および同諸島の領有権論争に資するため、 公文書、直接調査を行った結果の報告などを基にした「科学的根拠が極力明確な事実情報」を、以下のカテゴリを設定して掲載しています。
 現在は1970年頃までのF&Fを中心に1次公開を行っていますが、今後、これをプラットフォームとして、随時アップデートしていく予定です。

1. 領有権-法と歴史

尖閣諸島に関連する歴史的な事実・資料。国内法、国際法の見地から …閲覧
 

1. 領有権-法と歴史

概要
 日本政府は、1895年1月14日に魚釣島・久場島に対し国標建設を行うことを閣議決定し、領土に編入した。それ以前より政府および民間人による尖閣諸島各島への上陸や調査、民間人による海産物事業を中心とした開拓が行われていたため、日本政府は、水産事業者の取り締まりの必要からも同諸島を管轄下におき、自ら直接管理を行う必要があった。
 領土編入後、日本政府は古賀辰四郎氏に対し正式に官有地の貸与を決定し、古賀氏は魚釣島・久場島を拠点として事業開発を行ってきた。これを並行して、政府は各島への地番の設定や土地台帳への記載、行政関係者の訪問や学術調査の実施などの管理を行ってきた。
 
 日本政府は、1922年には久米赤島を国有地に指定して正式に領土に編入するとともに、大正島と島名を変更した。続いて、1932年には魚釣島・久場島・南小島・北小島の各島が、古賀辰四郎氏の事業を継承した古賀善次氏に対して払い下げられた。
 戦後、琉球諸島を含む南西諸島は、対日平和条約(1951年)第3条により米国の施政権下に置かれるが、その施政範囲に尖閣諸島も含まれた。米国は、米軍演習場への指定(久場島・大正島)、古賀善次氏に対する固定資産税等の課税(琉球民政府)、台湾人の沈船解体による不法入域に対する警告、警告板の設置など実効支配・管理を継続してきた。
 
 1971年6月17日には沖縄返還協定が調印され、1972年5月15日、同協定の発効により、尖閣諸島を含む沖縄県が日本の施政権下に復帰した。
 このウェブサイトは、1次公開版として、明治期から沖縄返還協定の前後までのF&Fを掲載する。
インデックス

(1)領土編入までの経緯―領有意思から領土編入措置まで

1859年〜
大城永保が尖閣諸島に上陸
 

1859年~
大城永保が尖閣諸島に上陸

1859年(安政6年)以降、大城永保(美里間切詰山方筆者)は、清国への航海の帰路、魚釣島・黄尾嶼(久場島)、赤尾嶼(大正島)に接岸して、これら三島の地勢・植物・鳥類を調査した。これらの事が、沖縄県五等属石澤兵吾が1885年(明治18年)9月21日に、沖縄県令西村捨三にあてた報告書(聞き取り)に示されている。
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Ref.1 :久米赤島久場島魚釣島三島取調書
(外務省外交史料館所蔵外交記録『帝国版図関係雑件』1-4-1-7)
 
 
 
1885年日本政府が沖縄県に尖閣諸島の調査を命令閲覧
1885年10月22日沖縄県、出雲丸を派遣して開拓可能性を調査閲覧
1885年10月9日
10月21日
国標建設について内務卿から外務卿への意見照会閲覧
1885年12月5日沖縄県より再度の上申、国標建設の見送り閲覧
1890年1月13日八重山島役所から尖閣諸島の所管を上申閲覧
1893年11月2日沖縄県知事より内務・外務両大臣へ再度上申閲覧
1894年12月5日
12月27日
1895年1月11日
国標建設に関する閣議案作成・内務・外務大臣協議閲覧
1895年1月12日
1月14日
尖閣諸島の日本への編入を決定(国標建設の閣議決定)閲覧
1895年1月21日国標建設の指令案の作成閲覧
1895年 1月22日
2月2日
国標建設の指令案文の作成閲覧
1922年久米赤島の国有地指定、大正島への改称閲覧

(2)編入以後の実効的支配

1884年〜古賀辰四郎氏による尖閣諸島の開拓閲覧
1895年~古賀氏が官有地拝借御願・30年間の無償貸与閲覧
1926年〜古賀氏への無償貸与から賃貸への変更閲覧
1932年古賀氏へ魚釣島・久場島・南小島・北小島を払い下げ閲覧
1896年3月5日勅令による沖縄の区画策定閲覧
1904年
1907年
行政機関関係者による尖閣諸島の訪問閲覧
1919年
1920年
在長崎中華民国領事、福建省漁民の遭難救助に関する
感謝状において「沖縄県…尖閣列島」と明記
閲覧
1939年〜農林省資源調査団・石垣島測候所による調査閲覧
1945年7月銃撃を受けた疎開船の石垣島町民の救出・慰霊閲覧

(3) 第2次世界大戦後の法的地位

1950年占領米軍政府の群島組織法に含まれる尖閣諸島閲覧
1952年
1953年
サンフランシスコ平和条約、琉球政府章典
(米国民政府布令第68号)
閲覧
1953年〜1955年関連米国民政府布令に含まれる尖閣諸島閲覧
1961年固定資産税、軍用地使用料への課税閲覧
1967〜1968年台湾人労働者による沈船解体の取締り(南小島)閲覧
1968年〜台湾人労働者による沈船解体の取締り(久場島)閲覧
1968年9月3日米国民政府による不法入域警告板設置等の提案閲覧
1969年2月26日米軍演習の事前通知、久場島の賃借閲覧
1970年7月9日〜13日尖閣諸島5島に警告板設置閲覧
1971年4月12日沖縄返還協定の範囲に含まれる尖閣諸島閲覧
1971年6月17日沖縄返還協定の調印閲覧
 
 
 
 

2. 地理

尖閣諸島の位置、地形、地質など。過去の調査報告から …閲覧
 
 日本への領土編入以前から尖閣諸島各島の学術調査、実地測量等が行われている。1900年には古賀辰四郎氏の要請を受け、黒岩恒氏、宮嶋幹之助氏が尖閣諸島に渡り、その調査報告が地学雑誌に掲載されている。
 戦後は、琉球大学の5次に渡る調査(尖閣諸島文献資料編纂会が「高良学術調査団」の名で報告資料集を刊行)、日本政府の旧沖縄開発庁による学術調査・利用開発可能性調査(1979)など、数々の調査が行われている。ここでは、位置・面積等の諸元の他、これらの調査によって得られた知見を要約・アーカイブする。
 

(1)位置・面積等諸元

・尖閣諸島の位置・面積等閲覧

(2)地形・地質

・魚釣島の地形閲覧
・北小島の地形閲覧
・南小島の地形閲覧
・久場島の地形閲覧
・大正島の地形閲覧
・尖閣諸島の地質閲覧
 
 
 

3. 海洋・気象

尖閣諸島周辺の海洋学的・気象学的特徴。海底地形、海洋地質、水温等 …閲覧
 
 尖閣諸島の周辺海域の海底地形・地質、海流・水温等、戦後を中心として、学術調査の結果から得られた知見を集約していく。特に、1960年代には3次に渡る資源調査が日本政府総理府の委託によって行われ、琉球大学による学術調査も実施されている。これらの調査の結果を中心に逐次掲載する。
 

 
・尖閣諸島周辺の海底地形閲覧
・海洋情報(水温・塩分濃度・特長)閲覧
・尖閣諸島の気象(気候区分・気象状況)閲覧
 
 

4. 生態系

尖閣諸島の各島の生物調査の報告、問題点など …閲覧